性暴力を言葉にすることは難しい。とても力がいるし、言葉にした後とても疲弊してしまう。
言葉にした後は何度もフラッシュバックして、苦しくなる。
でも、時間がかかっても、できるだけ言葉にしていきたいと思う。
胸を張って伝えたいと思う。
命を削るように、性暴力の被害について伝えている人の言葉を聴いて、私も何かがしたい。
五ノ井里奈さんやカウアン・オカモトさん…。
社会に向けて発信している人たちの声に力をもらう。
そして、その発信を聴きながら、
性暴力は、人の尊厳を踏みにじる犯罪だと強く思う。
先日息子から「ジャニーズで何があったの?」と聞かれた。
私は今様々なところで告発されていることを伝え、
あらためて他の人に触られたり見せたりしない自分だけの大切な場所である「水着ゾーン」(プライベートゾーン)について伝え、
もしも、水着ゾーン以外でも自分の身体の大事なところを触られたり、嫌なことをされた時は堂々と「やめて」と言ったらいいし、受けた被害を私に話してねと伝えた。
加害をなかったことにするのは、次の被害を生むとともに、自分自身を深く傷つけてしまうことにもなるのだ。
(ただ、ジャニーズ事務所に関わっていた人皆が事実を話す必要があるとも思ってはいない。〈性暴力〉は本当に、その人の生存に関わるセンシティブな事柄だから。決して告発を強要する空気を作ってはならないとも思う。大切なことはまず、被害者のケアなのだから。)
私はこどもの頃、性被害を受ける人は“受ける人に隙があったからだ”と教えられていた。
「露出の多い服を着てはいけない」「帰宅が遅くなってはいけない」「満員電車は痴漢に合うから、空いてる電車に乗りなさい」…などと、母から常々言われていた。
だから小学生で性被害にあった時、私は誰にも言えなかった。
身体が強張り、苦しかった。
そして、本当に不思議な感覚だったが、一晩寝て、朝になるとその時の状況が記憶から乖離していて、現実にあったことと思えなくなった。
しかし、時々、その時の状況がフラッシュバックし、その時は、暗鬱な気持ちとともに、被害を受けた自分に落ち度があったと、自分を責めた。
こどもの頃の私はショートカットで、普段、ズボンを履いて、ボーイッシュだと言われていた。性的なもの、〈女らしい〉ものを遠ざけていた。そんな私が被害に合った。
その時私に必要だったことは、大声を出すかブザーを鳴らすか、周りの大人に知らせることだった。でもできなかった。
知らせても信じてもらえるだろうか、受け入れてもらえるだろうか…と思っていた。
声を出せること、声が正しく聴かれることって本当に大切なことだ。
私は今でも本当に信頼している人にしか受けた被害を話せない。
だから、社会に向けて発信している人にとても敬意を持っているし、自分も一歩踏み出したい思う。
こんな決意もすぐに揺らいでしまうから、ブログに残しておくことにした。
だいぶ前のことだが、『フラワーデモを記録する』(フラワーデモ/編、エトセトラブックス)の読書会に参加した。
フラワーデモのことは以前から知っており、私も何かできないだろうか…と思い、読書会に参加した。
参加者の方々は、本を読んで何か考えたいとか、社会を変えたいと思っている方だろうから、安全に冷静に性暴力について聴いたり話したりできるだろうとも思った。
しかし、終わって感じたのは、性暴力をテーマに話すことの難しさだった。
私にとって性暴力は、もう30年以上の前の出来事で、何人かの信頼できる友人や大学の先生にも話していたことだった。ジェンダーやフェミニズム、トラウマについての本も読んできた。大学生の頃、レポートを書く作業は、自分を〈性被害〉から自由にするためのものだった。
読書会を通して思ったことは、私は受けた被害を客観的に見ることができていると思っていたけれど、そうではなかったということだった。
そして、やはり語ることで疲弊して傷つくんだという事実だった。
「それはきついですねー」とか、「加害者の心理を考えてもしょうがないですよ」という言葉に一々失望したり、言いようのない閉塞感を感じた。
期待してしまっていたとも思う。
そして、
普段しっかり怒るべき時に怒っておかないと、怒りの反射神経も鈍くなるんだと思った。
思い出したくないと記憶に蓋をする癖もなくしていきたい。
(自分を守るために、時には思い出さないようにすることも大切ではあるけれど。)
そして、その人の生存やアイデンティティに関わることを安易にテーマにすることの危険性を忘れてはならないと思う。
思い出すことがある。
卒業して何年も経った時、大学でのジェンダー論の講演に行き、その後飲み会に参加した。
その時、斜め前にいた初対面の男子学生が「僕、バイセクシャルなんです。今、本当に好きな人がいて、その人は男の人なんです」と話した。私はその話を、フワフワした気持ちで聞いていたことは覚えている。そんな私に、その学生さんは「真剣なことだから、笑わないでほしいんです」と怒った。
フワフワとたゆたっていた気持ちに急に冷水を浴びせられたような感覚がした。
笑ってなんかいないつもりだったけど、笑っていたのかもしれない。少なくとも、すごく深刻な話としてその学生さんの話を聞いていなかった。
その学生さんは「僕にとっては真剣なことなんですよ」と言って、それ以上話をしてくれなかった。
男の人が男の人を好きだという話はその学生さんにとってただの恋バナではなかった。
〈性暴力〉というテーマには、
周りの反応一つ一つがナイフのようで、命を削られるようにそこにいる私も、
〈セクシャルマイノリティ〉というテーマには、
フワフワ漂っている。
ナイフを突き付けられていると思っている私が、ナイフを突きつけている。無自覚に。
まだいろいろ考えたいこともあるけれど、今日はこの辺で終わります。