本と珈琲、ときどきチョコレート

観たり、聴いたり、心が動いたり…日々の記録

私が私を造るということ

①『サルトル全集 第一三巻 実存主義とは何か―実存主義ヒューマニズムである―』(伊吹武彦/訳、人文書院

②『サルトル 実存主義とは何か―希望と自由の哲学―』(海老坂武/著、NHK出版)

 

を読んだ。

 

まず①を読みはじめてすぐに「???」となり、②を付箋貼りながら読み、「なるほど!」と思ったものの、振り返ると「??????」となり、

NHKオンデマンドで「100分de名著 サルトル実存主義とは何か』」をメモを取りながら観て、「おもしろい!!」と思い、

また、②を読み直し、「そういうことか!!」と思い、

最後に①を目を皿のようにして読み、「実存主義」が胸にズシンと落ちてきた。

 

読んで良かった。

知って良かった。

 

映像の力を借りて、解説の本を読んで、行きつ戻りつ本の旅をする。

それは一人きりのリビングでのとてもエキサイティングな時間だ。

一人きりなんだけど、一人きりではない感じ。この感覚はなんだ?

 

海老坂武先生は、サルトルを「対話者」と表現している。

“「自分とは何か」「他人とは何か」「社会にいかにかかわるべきか」等々、誰でも立ち止まって自分の人生について考えるときがあるはずです。そんなときサルトルという人は、確実に私たちの「対話者」になってくれる”(『サルトル 実存主義とは何か―希望と自由の哲学―』(以下②と記します)(p.9)

 

そうだ。

本を読みながら、サルトルと対話しているから、一人きりの時間がとても豊かな時間になるんだ。

 

 

サルトル全集 第一三巻 実存主義とは何か―実存主義ヒューマニズムである―』(以下①と記します)から、「これは!」と思った箇所を抜き出してみる。※下線は私が引いています。

 

*******

“「実存は本質に先立つ」(略)「主体性から出発せねばならぬ」”(①p.15)

 

人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義される(略)。人間は最初は何者でもないからである。人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間はみずからが造ったところのものになる”(①p.19)

 

“人間はまず、未来にむかってみずからを投げるものであり、(略)まず第一に、主体的にみずからを生きる投企なのである。この投企に先立っては何物も存在しない”(①p.20)

 

“実存が本質に先立つものとすれば、人間はみずからあるところのものに対して責任がある”(①p.21)

 

“人間は自由である。人間は自由そのものである。(略)われわれは逃げ口上もなく孤独である。そのことを私は自由の刑に処せられていると表現したい。(略)実存主義者は、人間は何の拠りどころもなく何の助けもなく、刻々に人間を造り出すという刑罰に処せられている”(①p.31・32・33)

 

孤独とは、われわれが自分自身でわれわれの存在を選ぶということを内にふくんでいる。孤独は不安に相伴なう”(①p.41)

 

実存主義が示そうと心がけているのは、自由なアンガジュマン―このアンガジュマンによって各人は人間の一つの型を実現しつつ自分を実現していく”(①p.58)

 

“人間の定義としての自由は他人に依拠するものではないが、しかもアンガジュマンがおこなわれるやいなや、私は私の自由と同時に他人の自由を望まないではいられなくなる。他人の自由をも同様に目的とするのでなければ、私は私の自由を目的とすることは出来ないのである”(①p.68)

 

“人間は絶えず自分自身のそとにあり、人間が人間を存在せしめるのは、自分自身を投企し自分を自分のそとに失うことによってである”(①p.74(ヒューマニズムについての言葉)

 

*******

 

人間は何者でもなく、自分の本質は自分自身で造る。主体的に生き、未来に向かってみずからを投げ出す(投企する)。

みずから選択する自由を持ち、それに伴う責任があり、だから不安であり孤独であるのだ。

人間はみずからの価値を自分で決めていくことができる。

 

うわぁ…!

心揺すぶられる!!

 

不安や孤独を否定しない。

自由だからこそ、不安であり孤独なんだ。

不安や孤独を感じているのは、自由だからだ。

 

そして、アンガジュマンという思想。

自分の責任において、自分の人生をつくっていく。

前に向かって自分を投げ入れ(投企:project)、自分を巻き込み、参加させ、態度表明し、未来を造っていく。

 

サルトルは亡くなる3週間前の対談で希望について語っている。

「〈世界は醜く、不正で、希望がないように見える〉といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さねばね」(②p.129)

 

海老坂武先生は、「100分de名著」の中で「この言葉を発したことがサルトルにとっては“投企”だった」と話していた。

 

自分の運命が自分の中にあること、

世界に絶望しても、希望を造り出すことができるという言葉を残し、

それを表明し続けたサルトル

 

哲学、難しい!!

でも、いい!!

 

もっと読みたいなぁ。

サルトルの講演で出てきたデカルト、カント、ハイデガーマルクス…色んな哲学者の思想を知っていたら、もっと深くサルトルの言葉が自分の中に刻まれるだろうな。

評伝を書いたジュネやパートナーのボーヴォワールのことももっと知りたい。

疎外についてのマルクスサルトルの捉え方の違いとか、

友愛と民主主義の関係とか、

キリスト教実存主義とか、

もっと知りたい。

 

「地獄とは他者のことだ」についても深く考えてみたい。

 

 

でも、今日はもう限界だぁ…。

 

私は、これからご飯を作り、お風呂に入り、明日の準備をして、寝る。

明日は仕事に行き、洗濯をし、ご飯を作り…

そんな毎日が続いていく。

週末には本を読み、こども達と対話する。

 

それらひとつひとつを主体的にする。

 

私が私を造る。

 

それが今の私にとっての「希望」の形の一つです。