今日は色んなことを話し過ぎて少し落ち込んでいる。
20代の頃は、夫のことやこどものことなど、自分以外のことでしか話題がない人にはなりたくないなぁなんて思ってたのに、
今日は思いがけず夫やこどもについて話すつもりのないことまで話してしまった。
嘘はなるべくつきたくないけど、
話さないっていう選択をしてもいい。
あのとき〈なりたくない、と思っていた大人〉に私はなっていて、
あのとき〈なりたくない、と思っていた大人〉の気持ちがわかるような気がする。
まぁ、時は巻き戻しできないから、反省だけはちゃんとして、もう落ち込まないようにしよう。
疲れたり傷ついた心の回復には本がいい。
『ご本、出しときますね?』(BSジャパン、若林正恭/編、株式会社ポプラ社)、楽しかったぁ。
若林さんと小説家達の鼎談集。
【印象に残ったところ】***
羽田圭介さんの(“「お金と仕事がない」っていう充実感の欠如と、強迫観念はまた違うのかな”という問いかけに)
若林:そうそう。仕事してる間は、自分の内側のことで悩まなくていい。それに、金銭が発生すると「社会に必要とされてる」と思えて、自分のなかの欠落感が埋まった気になる。その「必要とされてる感」を失う怖さ。今仕事がなくなったときに、その欠落とうまく付き合う技術や人間力への自信がない。そこから来る強迫観念かもしれませんね。(p.166)
藤沢(周):究極的に「なぜ書いているのか」というと、世界の真実というか本質、実相を書きたいわけですよ。
でもそれは言葉以前の世界ですから、言葉以前のものを言葉で書くという矛盾を引き受けますよね。ずっと詰めていって、なるべく自分のイメージに近い言葉を探して、一旦言葉にしたときには、その世界の真実に敗北しているわけです。「言葉」というクッションが入ってるから。だからせめて、書くということは、世界と刺し違えることなんじゃないかなと思いながらいつも書いています。(p.179-180)
若林:うちの相方は言葉に関してちょっと変なところがあるんです。たとえば猫のことを「猫」って言いたくないんですって。で、なんで?って聞いたら、直接的すぎるからって。「直接的すぎて、重たいんだ」と。だから相方は猫を「おもち」って言ってるんですよ。(略)漫才のことはお漫才って言うんですよ。(p.240)
若林:(略)「全部、あなたの為よ」とされると…怒りが湧いてきちゃう。人間は結局自分の為に、合理的な行動をとってるんだよ!って。(p.248)
西(加奈子):ズルはしたらずっと苦しいから。ズルをしないで苦しむほうが楽しい。(p.285)
***
小説を読んでいて、
時にナイフのような言葉が、世界を切り裂いてまったく新しい景色を見せてくれる時がある。
作家がまっすぐに世界に向き合って、新しい地平に辿り着いている物語に出会える時がある。
だから読書が好き。
この鼎談であらためて、言葉というものの不思議さや限界にも気づかされた。
だからこそ、もどかしさや切なさややりきれなさを言葉に置き換えて表現する作家達、そして、言葉に置き換えられない何かを音楽や絵や色々な手段で表現している芸術家達に、救われる時がある。
資本主義社会での価値とは別のところに、芸術の価値があるし、それは、きっと一部の限られた人だけのものではないはずだ。
(本の内容からとても飛躍してしまったけれど、私の中では繋がっているのです)