ぼけとズレとケア
ぼけた人がその人のままで生きていく社会ってどんな社会だろう。
この問いがいつも胸の片隅にある。
『ぼけと利他』(伊藤亜紗・村瀨孝生/著、ミシマ社)を読んだ。
この本は、美学者の伊藤亜紗さんと「宅老所よりあい」代表の村瀨孝生さんの往復書簡だ。
この本にひかれたのは、伊藤さんの「はじめに」の文章を読んだ時だ。
“(略)「ぼけ」という言葉について。一般には「認知症」と呼ばれることが多い現象ですが、加齢とともに現れる自然な変化であるかぎり、病気ではない、と村瀨さんは言います。(略)本書では、「病気ではない、正常なこと」というニュアンスを込めて、「認知症」ではなく「ぼけ」という言葉を使っています”(p.5)
どうして静かに座っていてくれないんだろう、
どうして何度も同じことを言うんだろう、
どうして着替えを入れたバケツに排泄するんだろう、
どうして…
そんな問いかけの中で漂うこの答えにモヤモヤしてしまう。
「あの人、認知症だから」
まるで(住む世界が違うから)と言うように、「認知症だから」という答えで問いかけが終わってしまう。
「あの人、認知症だから」という答えは、今目の前にいる豊かな世界を持った人を、〈認知症〉とラベルの付いた箱に入れて片付けてしまうような、分かった気になってしまうような、そんな「乱暴さ」がある。
村瀨さんの記す〈ぼけ〉は、多様で豊かだ。今生きている人がそこにいて、周囲と影響し合っている。ケアされている人がケアしている。ケアしている人がケアされている。互いが互いをケアしている。そんな関係が見えてくる。
読んでいて、「あ、いいな」「わかる…」「なるほど」と思ったのは、この箇所。
“そもそもお年寄り、特にぼけを抱えた人はアナーキーな存在かもしれません。加齢によって時間と空間の見当が覚束なくなる。言葉を失い始め、記憶がおぼろげになる。そこには、概念から外れていく面があります。これまで縛られていた規範やルールからの解放とも言えるでしょう(当事者はそのことによってまた苦しむのですが…ここでは触れません)。概念から社会をとらえるのではなく、生身の実感から世界をとらえるようになると感じます。” (p.29)
“本来、私たちは概念によって共通の認識を得ることができていると思います。では、ぼけを抱えた人たちの世界では概念に依ることなく共同性や相互扶助のようなものが生まれるのだろうかという謎が出てきますよね。
結論めいたことを言えば、八十年、九十年かけて育んできた自分らしさをいかんなく発揮して、ズレまくりながら調和している感じなんです。その様子はある意味、相互扶助的に見えます”(p.30)
〈ズレながら調和する〉
おおぉ…!なんて素敵なワードなんだ。
そして、この言葉も。
長くなるけれど引用します。
“習慣はひとつの記憶だと思うことがあります。手間ひまかけてつくる記憶です。繰り返し、繰り返されることでつくられる習慣が体に記憶を生じさせ、日常をオートマチックにサポートしてくれます。それは、体に「わたし」が乗っ取られつつ、「わたし」が体に執着していくきっかけにもなる。
繰り返されてきた行為の蓄積は「わたしらしさ」をつくる。蓄積された時間のどこを切っても「そのときのわたし」がいて、体の中には「すべての世代のわたし」がイキイキと生きている。年輪のように。
(略)
僕たちは社会の求めや生理が変容するたびに、これまでの習慣に新しい行為を「熟れ」させながら「わたし」をバージョンアップしているように思います。お婆さんは変容する「体」と「わたし」に対して途方に暮れていたのではないか。デパ地下で楽しんでいたかつての「わたし」に会いに行き、今の「わたし」をケアしていたのかな”(p.60)
〈かつての「わたし」に会いに行き、今の「わたし」をケアする〉
あぁ、わかる…。
私は月2回ほど、職場で「回想法」のグループ活動をしていて、その時間がとても好きだ(「回想法」というと大げさで特別な感じだから、「おはなし会」という表現がぴったりするし、実際、「おはなしの会」と呼んでいる)。話すこと、聞くことが好きな方と少人数でテーマを決めて、映像や写真を見たり、音楽を聞いて色々な思い出話をする。私は準備した映像や写真を見て頂いたり、音楽を流したり、質問をしながら、ずっと皆さんの話を聞いている。皆さんが、あんなこともあったね、こんなこともあったねと互いに話したり、年下である私に、時には使命感を持って昔の出来事を伝えてくれる、そんな時間がとても好きだ。
普段ケアされている人がその役割から離れて、他の人のケアをする。「こんなんで生きててもしょうがないわ。早くお迎えきてほしいわ」が口癖の人が、自分自身を確認するように語る。その空間がとても好きだ。
ケアってなんだろう。
効率や生産性ではないところにある何か…。
グルグルグル・・・
今日はここまでにします。
ひとりで考えるエネルギーが切れてきました。
読み終えたら、本が付箋だらけでした。
たくさん、たくさん気づきのある良い本でした。
共にぼーっとする時間、抗い、看取りや認知度検査のこと、〈妄想〉や〈徘徊〉のとらえ方、“当事者が直面しているのは、「正」「誤」でも「正常」「異常」でもない、「わたし」が生き生きと感じていることなのです”(p.195)、“僕には病理とは違う文脈で老いを手づかみしたい衝動があります” (p.259)、“ケアしてもらうとは体をあげること、ケアするとは体をうけとることなのではないか”(p.263)
などなど…
読みながら、ハッとした。
もっと深めて考えてみたい。少しずつ。