森絵都さんの『カラフル』(文春文庫)を読んだ。
ふわぁー…!心地良い読後感…!
最近黒く腐りかけてたわたしの世界に、カラフルな光が射しこんだよ。
(以下ネタバレを含む感じたことです)
この本に流れる空気、だいすきな大島弓子さんの作品世界に重なって、心地いい。
真もプラプラも小林家の人々も、唱子もひろかも早乙女君も先生も、私の脳内では大島先生風のキャラクターになって動いてた。
(あーっ!今無性に『バナナブレッドのプディング』が読みたくなってきたーっ!読も。)
最後は「やっぱりそうかぁ!」「あー、良かった」ってなんだかホッとした。
森絵都さんの『みかづき』がとても良くて、この本も読んでみたいなと、『カラフル』の表紙に惹かれて手に取った。
ひとつひとつの言葉がとても心に沁みる。
(息子が床屋で散髪している間に読んでいたんだけど、思わず涙ぐんでしまって困った)
そして、文章のリズムが読んでいる私の鼓動とシンクロしてくる感じが心地いい。
“ぼくのなかにあった小林家のイメージが少しずつ色合いを変えていく。
それは、黒だと思っていたものが白だった、なんて単純なことではなく、たった一色だと思っていたものがよく見るとじつにいろんな色を秘めていた、という感じに近いかもしれない。
黒もあれば白もある。
赤も青も黄色もある。
明るい色も暗い色も。
きれいな色もみにくい色も。
角度次第ではどんな色だって見えてくる。(p.178)”
“「みんなそうだよ。いろんな絵の具を持ってるんだ、きれいな色も、汚い色も」
(略)
人は自分でも気づかないところで、だれかを救ったり苦しめたりしている。
この世があまりにもカラフルだから、ぼくらはいつも迷ってる。
どれがほんとの色だかわからなくて。
どれが自分の色だかわからなくて。(p.186)”
“この大変な世界では、きっとだれもが同等に、傷ものなんだ。(p.228)”
“そう、ぼくはあの世界にいなければならない…。
(略)
ときには目のくらむほどのカラフルなあの世界。
あの極彩色の渦にもどろう。
あそこでみんなといっしょに色まみれになって生きていこう。
たとえそれがなんのためだかわからなくてもー。(p.246)”
私が真や唱子やひろかの年、14、5歳くらいは、眩しく射しこむ色が整理できなくて、2色に分けてなんとか呼吸していた時もあった。
「私は○○色です」って表現したり説明しないとここにいてはいけないような気持ちになったこともあった。
そして、この混沌とした色が混ざり合った世界が、10年、20年…経てば、きれいに色分けされて、呼吸しやすくなるし歩きやすくなるはずだって思ってた。
大人はみんな器用にスイスイ生きてるように見えたから。
ものすごい勢いで時が過ぎて、
やっぱり混沌の海の中で溺れそうになる時もある。
逆に、自分の中に絵の具が全然無いように思えて焦燥感に押しつぶされそうになる時もある。
全くきれいに色分けされてなんかいないんだ。
真のお母さんが自分のことを「欲深い」「執念深い」と表現していたけれど、すごく共感した。
これからだって、オバーチャンになっても、
思わぬ色に戸惑ったり、混乱することがあるだろう。
今はこの色で行くって強く筆を走らせる時もあるだろう。
いろんな色を混ぜ合わせながら、フワフワと漂うこともあるだろう。
ひとつわかっていることは、
たとえ美しくなくても、汚れていても、
カラフルな世界を生きていくってことだ。
そして、それは、なかなかすてきなことだと思う。