『音楽は自由にする』
『音楽は自由にする』(坂本龍一/著、新潮社)を読んだ。
没頭して読んでたら、息子がYMOを流してくれた。
坂本龍一の文章を読みながら、YMOを聴く!なんて贅沢で豊かな時間なんだ!
中学生の頃、真っ暗な部屋でカセットテープが擦り切れるまで聴いた美しい旋律。
ピアノを奏でる姿とか、オーケストラを指揮する姿とか、アカデミー賞授賞式とか…とにかく全てがかっこいいなぁ…って、ウットリ憧れてた。
それとともに、地雷撤去活動や「非戦」の出版など、時代の問題に対して自分の立場を明確にして、アクションを起こす姿に、孤高の存在ではなく、私達とともに生きる存在なのだと励まされ、揺すぶられた。
(しかし、10年程前に夫から、「教授ってアホアホマンの兄やん」って動画見せられた時は、マジでショックすぎた。人って多面的…)
大きな才能を持ち、それを存分に発揮して、社会に影響を与える人は、どんな育ち方をして、どんな人と出会い、どんな生き方をしてるんだろう…と興味があり、本を手に取った。
(以下は坂本龍一さんのことを愛称の〈教授〉と呼びます)
読んで思ったことは、
才能は、幼い頃から育まれているものだということ。そしてそれは強制されて始めたり続けたりするものではないということ。
ピアノや作曲を学ぶ環境は家庭や指導者が提供したものだけれど、
それを続け、一度やめても戻ってきたということは、それが、その人の本分、才能と呼べるものなんだなぁ。
そして、〈教授〉が持つ社会に対するエモーションが、更にその才能を磨き、その作品が受け取る人の心の奥深く響きながら、社会に開かれたものにしているんだなぁ。
やむにやまれぬものを持っている人って、もうそれだけで優れた芸術家なんだと思う。
〈教授〉に限らず、どんな人でも、その人のやむにやまれぬ表現に、私はいつも心を打たれる。
そして、やはり、〈教授〉が亡くなるまで、そして亡くなってからも光り続けているのは、〈教授〉が問い続けてきたからなんだろうと思う。
「自分はなぜこの時代の、この日本と呼ばれる土地に生まれたのか、そこにはなんらかの意味があるのか、ないのか、単なる偶然なのか。子どものころからそんな問いが頭をかけめぐることがあるが、もちろん、明解な答えに出くわしたことはない。死ぬまでこんなことを問うのか、それとも死ぬ前にはそんな問いさえ消えていってしまうのか。」(p.248)
生きること、音楽、表現、他者、言葉、文化、芸術、社会、経済、国、環境、紛争、戦争…、〈教授〉は問い掛けながら、作品を生み出し、奏で、行動し、その時々で様々な音楽や人、本との出会いがあり、その出会いが新しい扉を開いている。
そうだ、問い掛けながら、音楽は〈教授〉を自由にしたんだ。
そして、音楽は、〈私〉、〈私たち〉を自由にする。
私たちは、問い掛けながら、〈自由〉になっていく。
『音楽は自由にする』、〈教授〉ファンはもちろん、表現に興味のある人ならファンでなくても、様々な分野について示唆に富む珠玉の一冊です。読みながら本が付箋でいっぱいになりました。
坂本龍一さん、そして素晴しいインタビュアーの鈴木正文さん、本を残して下さってありがとうございます。