とーっても久しぶりの更新です。
日曜日は「対話する哲学教室(13)」にオンライン参加しました。
テーマは「健康であることと美しいことにちがいはあるか」
『中学生からの対話する哲学教室』(シャロン・ケイ、ポール・トムソン著、河野哲也監訳、玉川大学出版部)4章のティーンの会話を読んで、哲学者の松川えりさんの進行で参加者が対話をし、後半は松川さんのレクチャーとさらに対話という流れです。
今回も3時間あっという間でした。
私にとって、哲学カフェや哲学対話は「聞くこと、伝えること、考えることを諦めない場」。普段、「まぁええやん」「いつかゆっくり考えよう…」と思いがちな私には、とても貴重な場であり時間です。
そして、哲学教室が、そのような貴重な時間・場になり得るのは、進行役の松川さん、主催者のスミさん、そして参加者の皆さん一人一人の真摯な姿勢があるからだなぁ…って思います。
あー、参加できて良かった…!
モヤモヤは決して消えないんだけれど…消えないどころかおっきくなってるけど…。
今回は、表題だけ読むと「美」と「健康」がテーマだと思うのだけれど、ティーンの会話やテキストの内容を読むと、「生命の選別」や「バイオテクノロジー」とか、「生命倫理」や「医療倫理」、「差別」や「多様性」もテーマのよう。どっから切り込んで、どんな対話になるだろうって、探り探りの参加でした。
この企画を知った時「参加したい!」と思ったのは、私の中で20代の頃から節目節目で考えてきた「出生前診断」「命の選別」「産む産まないは私が決める」という言葉について、もう一度掘ってみたいと思ったから。それが、「美」や「健康」とどうつながるのか?探ってみたいと思ったから。自分の中の「内なる優生思想」に向き合う怖さもあったけれど。
参加する前は、ティーンの会話に出てくる梨花の「あの子たちは生まれてこないほうがよかったんじゃないか」という発言について、参加者の皆さんが批判するような対話の流れになるかなぁ…なんて思ってました。(…「生まれてこないほうがよい」ってコトバ、こうしてキーボードで打つだけでも心臓バクバクする…)。
実際は、予想した通りではありませんでした。そして、生きていくことの過酷さをあらためて対話を通して確認していく感じでした。対話を通して切実な現実を知り、「私はどこにいるんだろう、何ができるんだろう」とグルグル思いを巡らせたり立ち止まったり。
対話の場は、(おそらく)テーマに惹かれて参加した方々の方の集まりだけれど、誰一人として同じではないことが対話しているうちにわかってくる。
こんな時つくづく思う。哲学カフェって、癒しの場ではないんだよなぁ。
対話しながら見たことのない景色を見に行く感じかな。
「精子バンク」について発言した方がいて、それについて「自分への自信のなさ」「母は器か」と発言した方がいた。
その方が「どんなこどもも受け入れる社会」と発言された時、胸を突かれた感じがした。
「どんなこどもも受け入れる社会」、私はそんな社会で生きたい。
自分の子も、自分自身も受け入れられないときがある。
私はどうしようもなく利己的だ。
それでも、そんな社会にむかって一歩踏み出せるだろうか…。
これは、「多様性」を尊重できるか…という問いが関わってくるように思う。
「自分への自信のなさ」は、SNSの発達やルッキズムとも関連しているのではないか。実体のない、ハリボテのような、誰かが決めた「美」を至上として、欠落感だけ抱えてあえいでいるような…。
「優れているものが美しい?美しいものは優れている?」
と問いかけた方がいた。
それは違う、と思う。
でも、そんな考えがスルリと入り込んで、自分を支配するときがある。劣等感に心が支配されるときがある。
シミや白髪を見つけると、「私は美しくない」と落ち込むときがある。
腰痛で起き上がれないと、「私は怠けてる、健康でない」と責めるときがある。
そして、美しさと健康を「価値」(“値打ち”と表現した方がいいかな)と結びつけているときがある。
「自分には価値がない」という思いに囚われるときがある。
「美しさ」は「価値」(値打ち)とは違うのに。
私にとっての「美しさ」は、私を「価値」(値打ち)から「自由」にしてくれるものだから。
うーん、振り返りはここまで…。
まだまだモヤモヤは広がります…。
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皆さんの発言から続くワタシのモヤモヤ…
・後半の対話で「経済」という指標が入ったことで、モヤモヤが整理されたような…。でも言語化はまたいつか…。
・種の保存と多様性についてもっと掘ってみたい。
・本能って?
・こどもは実子でないとだめなの?遺伝的繋がりとの違いは?
・みんなにとって良い街って?
・マイノリティにマジョリティが合わせてもらってる…。どういうこと?掘り下げたい。
・「恵まれてる」「恵まれない」っていう言葉に私が抵抗感があるのはなぜ?
・「選ぶ」ことはできているようでできない。選んでいるようで選ばされてる?それはなぜ?どんな力がはたらいてるの?
・コントロールできることとできないことは?何かをコントロールすることと傲慢さの関係は?
・「欠落感は消えない」。その欠落感の正体は何?肥大化する欲望と欠落感の向こうには何がある?
・「青空や緑を美しいと皆思う」?私は青空も緑も好きだけど、曇り空も雨も美しいと思う。
・みなさんにとって「美しさ」や「美しいもの」は何ですか?…そこにはきっと多様性があるのでは?